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未来社会における貨幣・労働・教育の価値観の変化:AIとロボティクスがもたらすパラダイムシフト

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私たちの社会は今、大きな転換点を迎えています。人間のように多様なタスクを学習・実行できるAIとロボティクスの融合技術が急速に発展し、私たちの生活基盤を根本から変えようとしています。特に「お金」「仕事」「学び方」という私たちの社会を支える基本的な概念が、今後どのように変容していくのか、その可能性と課題について考えてみましょう。

※本記事は、一般社団法人AICX協会 代表理事 小澤 健祐氏からの寄稿記事です。

限界費用ゼロ社会の到来

現代社会では、商品やサービスを提供するためには必ず一定のコストがかかります。例えば、おにぎり一つを作るにも、米や海苔などの材料費、調理する人の人件費、店舗の家賃や光熱費など、さまざまなコストが発生します。そして追加で一つ作るとき、そのコストはほぼ同じように発生します。

しかし、高度に発達したAIロボットが自律的に農作業から調理まで行えるようになれば、人件費はほぼゼロになります。さらに太陽光や風力などの再生可能エネルギーが普及すれば、電力コストも劇的に低下するでしょう。こうした変化が複合的に進むことで、基本的な食料や住居、エネルギーなど、生存に不可欠な商品やサービスを極めて低コスト、あるいは実質的に無償で提供できる社会が現実味を帯びてきているのです。

これは単なる夢物語ではありません。すでに情報サービスの多くは限界費用ゼロに近づいており、製造業や農業、建築などの分野でも自動化とAIの進化によって、生産コストの劇的な低下が始まっています。

お金の価値の変容

基本的な生活必需品が無料または非常に安価になる社会では、「お金」の意味も大きく変わるでしょう。現在、私たちは給料をもらい、その給料で食料や住居にお金を使うことが当たり前です。しかし、これらが無償で提供される社会では、交換媒体としてのお金の重要性は相対的に低下します。

代わりに、新たな価値尺度が生まれることが予想されます。例えば、「社会への貢献度」「創造性」「共感力」「質の高いデータの保有」などが、新しい「富」の形となるかもしれません。レストランでの支払いも、現金ではなく、自分の特技や創作物へのアクセス権、あるいは自分の時間や注目といった形で行われるようになるかもしれません。

もちろん、お金が完全になくなるわけではありません。希少性の高い資源や、高度に個別化されたサービス、あるいは嗜好品などへの対価として、限定的にお金(あるいはデジタルトークンなど)が存続する可能性は十分にあります。しかし、その重要性は現在よりも大きく低下することでしょう。

仕事の概念の根本的転換

現代社会において、多くの人が「生きるため」に働いています。「正社員」「給与」「勤務時間」という枠組みの中で、収入を得るための労働に従事しています。しかし、AIとロボットが生産活動の大部分を担い、基本的な生活ニーズが満たされる社会では、この「生計を立てるために働く」という労働の中心的な意味合いが大きく変わります

人々は生存のための労働から解放され、より自己実現、創造性の発揮、知的好奇心の探求、社会貢献、人との交流といった、内発的な動機に基づく「活動」に時間とエネルギーを費やすようになるでしょう。例えば、子どもたちに伝統工芸を教えることに喜びを見出す方、自分の趣味だった料理を極め、特別なディナーを提供することで社会と繋がる方、あるいはAIと協力して新しい環境再生プロジェクトをリードする方など、さまざまな形での社会参加が生まれると考えられます。

労働は「義務」から、自己を表現し、社会と関わるための「権利」や「欲求」に近いものへと変容していくのです。ただし、全ての仕事がなくなるわけではありません。AIを使いこなす能力や、AIには代替できない高度な共感力、倫理的判断、複雑な問題設定能力、ゼロからイチを生み出す創造性などが求められる新たな役割が生まれます。

この変化への適応は、人によって異なるでしょう。労働が自己肯定感や社会的な所属意識、生活リズムの基盤であった人々にとって、この変化はアイデンティティの危機や目的喪失感につながる可能性もあります。自由な時間をいかに豊かに過ごすか、新たな社会参加の形をどう構築するかが、重要な課題となるでしょう。

ベーシックサービスの台頭

現在、経済格差の是正策として「ベーシックインカム」(最低限の所得を全ての人に給付する制度)が議論されています。しかし、お金の価値そのものが低下する社会では、お金を配るという発想そのものが時代遅れになる可能性があります。

代わりに浮上してくるのが「ベーシックサービス」という考え方です。これは、食料、住居、エネルギー、情報通信、教育、医療、交通、文化アクセスなど、人間らしい生活を送る上で基盤となるサービスそのものを、全ての人々に無償で提供するという構想です。

例えば、標準的な住居が無料で提供され、栄養バランスの整った食事が自動的に届けられ、基本的な医療や教育、移動手段が誰でも自由に使えるような社会が考えられます。これは現物支給による最低限の生活保障であり、お金という媒介物を介さずに、直接必要なものが提供される形態です。

ただし、実現に向けてはいくつかの重要な課題があります。例えば、無償提供されるサービスの質と量をどう担保し、誰が、どのような基準で公平に分配するのか。特定の希少資源をどう管理するのか。サービス提供の主体(政府、NPO、コミュニティなど)をどうするのか。そして何より、提供されるサービスが画一的になり、個人の選択の自由が損なわれないようにするにはどうすればよいのか。これらの問いに対する答えを、社会全体で模索していく必要があるでしょう。

教育のパラダイムシフト

現在の教育システムは、基本的に「良い大学に入って良い会社に就職する」という目標を前提に設計されています。特定の職業スキルや知識を詰め込み、テストの点数や偏差値によって評価される画一的な学びが中心です。

しかし、「就職」という目標自体が変わる社会では、教育の目的も大きく転換せざるを得ません。これからの教育は、変化の激しい予測困難な未来社会において、一人ひとりが自分らしく、幸福で充実した人生を主体的に築いていくための能力を育むことを目指すようになるでしょう。

例えば、AIメンターと一緒に自分が興味を持ったテーマについて深く探究する中学生、ロボット工作に夢中になり、製作から発表、改良までのサイクルを繰り返す小学生、複数の分野を横断するプロジェクトを仲間と推進する高校生など、一人ひとりの「好き」を起点とした個別最適化された学びが中心となります。

この新しい教育パラダイムでは、知的好奇心や探求心、創造性、批判的思考や問題解決能力、コミュニケーションや共感、自己理解や自己表現、レジリエンス(回復力)、AIリテラシーなどが重視されるようになります。また、変化に対応し自ら学び続ける力、古い知識を捨て去る力(アンラーニング)も重要になるでしょう。

学校の形も変わり、年齢や学年による区分けよりも、興味や関心、プロジェクトによるグルーピングが中心となるかもしれません。評価も、単一の物差しではなく、多面的で個別化されたものになっていくでしょう。

現実的な課題と移行期

これらの変化は一夜にして起こるものではなく、15年から30年、あるいはそれ以上の時間をかけて段階的に進行していくと考えられます。その過程ではさまざまな課題が生じるでしょう。

まず、仕事の自動化による一時的な大量失業は避けられない可能性があります。また、変化の恩恵を受ける度合いは、産業分野や国、地域、個人の持つスキルによって大きく異なり、「AIデバイド」と呼ばれる新たな格差を生む恐れもあります。ここでは部分的にベーシックインカムのような仕組みが必要になる可能性もあります。

さらに、「労働は美徳である」「物を所有することが豊かさである」といった既存の価値観から、「経験、学び、繋がり、貢献、自己実現」といった非物質的な豊かさへと人々の意識がシフトしていく過程では、心理的な抵抗や世代間の価値観の衝突も予想されます。

また、AIとロボットを社会に実装する上でのルール作り、制御不能リスクへの対応、アルゴリズムの公平性・透明性の担保、AI開発・運用における倫理基準の確立なども重要な課題です。特に、技術を所有・管理する主体への権力集中リスクには十分な注意が必要でしょう。

未来への羅針盤として

AIとロボティクスの進化は、今後数十年の間に私たちの社会の根幹をなす価値観に、不可逆的とも言えるパラダイムシフトを引き起こす強大な力を持っています。限界費用ゼロ化の進展は、経済のあり方を根本から変え、私たちの働き方、学び方、そして生き方そのものに大きな影響を与えるでしょう。

この歴史的な転換期において、私たちは過去の延長線上で未来を考えるのではなく、全く新しい社会の仕組みを設計するという気概を持つ必要があります。目指すべきは、技術の恩恵を一部の人間だけでなく、全ての人が享受でき、個々人の自由な自己実現と持続可能な幸福が最大限に尊重される社会です。

そのためには、旧来の価値観や制度に固執することなく、ベーシックサービスを核とした新たな社会保障システムの設計、個人の内発的動機と「よく生きる力」を育む教育への大胆な転換、AI時代の倫理規範とガバナンス体制の構築、移行期に生じる格差や混乱に対するセーフティネットの整備といった課題について、社会全体でオープンかつ建設的な議論を深め、具体的な行動計画へと繋げていくことが急務です。未来は自動的に訪れるものではなく、私たち一人ひとりの選択と行動によって形作られるものです。AIやロボットは道具であり、それをどう活用して理想の社会を築くかは、私たち自身の手に委ねられているのです。私たち自身が、自分たちが望む未来の姿を描き、それに向かって一歩一歩進んでいく必要があります。

PROFILE

KENSUKE OZAWA

一般社団法人AICX協会 代表理事/一般社団法人生成AI活用普及協会 常任協議員
「人間とAIが共存する社会をつくる」をビジョンに掲げ、AI分野で幅広く活動。著書『生成AI導入の教科書』の刊行や1000本以上のAI関連記事の執筆を通じて、AIの可能性と実践的活用法を発信。
一般社団法人AICX協会代表理事、一般社団法人生成AI活用普及協会常任協議員を務めるほか、GoogleのAI「Gemini」アドバイザーとして生成AIの活用普及に貢献。Cynthialy取締役CCO、Visionary Engine取締役、AI HYVE取締役など複数のAI企業の経営に参画。日本HP、NTTデータグループ、Lightblue、THA、Chipperなど複数社のアドバイザーも務める。
千葉県船橋市生成AIアドバイザーとして行政のDX推進に携わる。NewsPicksプロピッカー、Udemyベストセラー講師、SHIFT AI公式モデレーターとして活動。AI関連の講演やトークセッションのモデレーターとしても多数登壇。