「教わる役員」と「教える若手」がAIを武器に組織の壁を壊す。博報堂DYグループが実証した、人間中心のAI変革論
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いま、あらゆる業界で生成AIの導入が急務となる一方で、「世代間のAIリテラシーの差」や「AIに仕事を奪われるという現場の抵抗感」に頭を抱える企業は少なくありません。
そんななか、「AIは人間の可能性を拡張するもの」という考えのもと、若手が役員に1対1で教える「逆メンタリング」をはじめ独自のアプローチで組織変革を進めているのが博報堂DYグループです。
同社の取り組みは、生成AI時代における人的資本経営の優れた実践事例を表彰するアワード「GenAI HR Awards 2025」でも、企業セクター・大手企業の部で準グランプリを受賞しました。
博報堂DYホールディングスの荻野綱重氏へのインタビューから、クリエイティビティを最大化するAI時代の「組織変革論」を紐解きます。
ベテランの「審美眼」を会社の資産にする
──はじめに、貴社が掲げる「人間中心のAI」という理念の背景について教えてください。
荻野 私たち博報堂DYグループは生活者発想という考えを大切にしており、「人間中心のAI(Human-Centered AI)」という理念のもと、生活者全体を対象としたAI活用を推進しています。
その背景にあるのは、お客様を単なる「消費者」としてではなく、朝起きてお弁当を作り、好みのコーヒーを買ってネットニュースなどに目を通しながら出社するような、多様性をもって主体的に生きる一人の「生活者」として360度の視点から捉える当社の姿勢です。
世間では「AIに仕事を奪われる」という議論が先行しがちですが、AIは決して敵ではありません。むしろ、「世の中の暮らしや体験をより豊かにしてくれる存在」だと考えています。
たとえばLLM(大規模言語モデル)を使えば、「50代・北海道在住・独身男性」のリアルな一日の物語を描き出し、象徴的なビジュアルへと落とし込むことができます。議事録や資料の作成といった作業はAIに任せ、そこで浮いた時間を「どんな言葉なら人の心が動くのか」という本質的な問いに集中させる。つまり、AIを使って生活者への理解を深め、人間ならではのクリエイティビティを拡張していくのが私たちのスタンスです。

──AI活用を推進するうえでどのような課題意識がありましたか?
私たちが強い危機感を持っていたのが、「ベテラン層の巻き込み」です。博報堂DYグループのAI研究所である Human-Centered AI Institute が2024年に実施した調査では「50代のAI活用率はわずか10%に留まる」という結果も出ていますが、実はここが最も大きな課題でした。
なぜなら、50代のベテラン社員は、企画書を見た瞬間に「これは博報堂らしくない」と一瞬で判断できる、鋭い「審美眼」を持っているからです。もし彼らがAIを敬遠してしまえば、長年培われた貴重な暗黙知が会社から完全に抜け落ちてしまいます。

AIが得意とするのは統計に基づく確率論的なアプローチであり、その結果として「均質化」や「同質化」といった課題が生じます。逆に人間には、AIには決して生み出せないものがあると考えています。それは、「自分はこれが美しいと思う」という人間の揺るぎない経験や個性が発露した、正規分布とは異なるクリエイティビティです。
だからこそ、ベテランの知をAIによって言語化し、5年後、10年後も会社のナレッジとして使える「人的資本(資産)」として残していく仕組みが不可欠なのです。
経営と現場の関係性を深める「逆メンタリング」とは
──AIの活用力と業務知識の間に横たわる「知の壁」を壊すため、若手が役員に教える1対1の「逆メンタリング」を採用されています。なぜ一般的な一斉研修ではなく、この手法を選んだのでしょうか?
一般的な「役員向けAIセミナー」のような座学では、どうしても腕組みをして話を聞くだけになり、浅い理解で終わってしまいがちです。それに、他の役員や部下の目が気になると、「このAIとあのAIの違いって何?」といった初歩的な質問は、どうしても聞きづらいですよね。
だからこそ、私たちは秘書すら入れない「役員室という密室」で、まるで家庭教師のように1対1で教えるスタイルにこだわりました。
最初は当然、硬い雰囲気から始まります。しかし、まずは「パソコンを持ってきてください」と伝え、大きなモニターを繋いで一緒にプロンプトを入力していく。「面倒なら、音声入力でもいいですよ」と横で伴走していくうちに、役員の方もだんだんと「ぶっちゃけ、これってどう入力したらいいの?」と、飾らない本音で質問できる関係性へと変わっていったのです。

──若手が上司に教えるとなると、一般的に若手の「遠慮」や上司の「プライド」が壁になりそうです。
AIと人間が仲良くなる方法は「対話を重ねること」ですが、実はこれは人間同士も同じだと考えています。大きなモニターに画面を映して一緒に作業する様子は、まるで自動車教習所の教官と生徒。同じ方向を見ながら、活発に意見を交わして進めていくことになります。
役員は元来好奇心が旺盛なので、自身の趣味や関心事に紐付けて、次々と予想外の質問を投げかけてきます。すると若手も、「遠慮するより、忖度なく率直に意見を伝えた方が喜ばれるんだ」と気づき、心の壁を取り払っていく。役員側も意欲的に「この1時間の学びを最大化しよう」と前のめりになり、若手は分からないことを「次回の宿題」として持ち帰ります。

また、もう一つの重要な仕掛けとして機能したのが、「中間管理職の巻き込み」です。逆メンタリングを通じて役員が自ら面白がって作成した企画書などを、あえて中間管理職に共有するんです。すると、「役員は一体どのようなAI活用を学んだのか?」「自分たちも遅れをとってはいけない」という危機感が生まれ、自然とキャッチアップを始めるサイクルが回っていきました。
そうやってAIという未知の領域を一緒にドライブする中で、博報堂DYグループに昔から根付く「ホワイトボードを囲むグループワーク」のような、役職の壁を超えた「フラットな共創関係」ができあがっていきました。この熱量と一体感こそが、私たちの組織全体でAI活用がこれほど力強く推進されている最大の原動力なのです。
効率化より「暮らしを面白く」。生活者発想で熱量を伝播させる
──わずか数十名から始まったAIアンバサダーという取り組みが、大規模な「教え合う文化」へと拡大したそうですね。ボトムアップでこれほどの熱量が生まれた理由や、工夫された仕掛けを教えてください。
トップダウンの一律の号令ではなく、現場の熱量を横に広げる「ネットワーク構造」を意識しました。具体的には、組織ごとにAIアンバサダーを繋ぐチャットグループを複数設け、「このツールのこんな使い方が面白かった」といった発信が、組織内で生まれる仕組みを作りました。
また、アンバサダーの活動は社内に自走するサイクルを生み出しています。
アンバサダー自身が全社勉強会で学んだことを、自分の職場で自主的な勉強会を開いて共有する。そこで生まれた様々なAI活用事例を、今度は全社勉強会で発表します。こうして身近な人がAI推進の旗振り役になることで、気軽に相談したり使い方を聞けるようになり、「自分もやらなきゃ」というモチベーションが自然と連鎖していくのです。

──貴社が大切にされている「生活者発想」は、この変革プロセスにおいても体現されていることがあるのでしょうか?
一言で言えば、「まずは自分の生活の中で使ってみましょう」と発信したことです。
いきなり「AIで業務効率化を」と旗を振られても、初めて触れる人には具体的なイメージが湧きません。だからこそ、ビジネスパーソンである前に、「一人の生活者」としてAIに触れてほしいと伝えました。
旅行のプランを立てる、子どもの受験勉強の計画を作らせる、あるいは趣味の予想に活用する。社内では、AIにゲームのコードを書かせて大会を開いたり、役員を称えるオリジナル曲を作って盛り上がったりもしました(笑)。
いきなり仕事に持ち込むのではなく、AIをパートナーにして「自分の暮らしを面白くする」ことから始めるのです。そうすることで心理的なハードルが劇的に下がり、誰もが自然とAIに親しめるようになります。この「生活者発想」からのアプローチこそが、組織全体の変革に良い影響を与えたのだと考えています。
変革のヒントは「本音」に宿る。1日10回の“AIとの対話”が組織を変える
──AIと人間がともに進化するこれからの時代、クリエイターの定義はどのように変わっていくとお考えですか?
クリエイターの定義は、本質的には変わりません。得意先や生活者がまだ見たことのない「別解」を出せるのがクリエイターです。
AIの登場でプロトタイプが早く作れる分、AIの出力に対して人間が何度も納得がいくまで調整を繰り返し、個人のこだわりや審美眼を反映させていく。たとえば経理担当者であっても、従来のルールに囚われない事業の捉え方(別解)を提案できれば立派なクリエイターです。安易に正解に飛びつかず、真摯に答えを考え続けるスタンスが問われます。
当社のトップクリエイターの思考を学習させた「STRATEGY BLOOM CONCEPT」(通称「細田AI」)の開発でも、「プロセスを決してAIに丸投げしない」ことを使用の前提とすることで合意しました。美大の卒業展示で「なぜこの色を選んだか」が厳しく問われるように、1億人のAIペルソナが「統計的な正解」を導き出しても、「なぜこれが人の心を動かすのか」という作り手の強い意思やナラティブが伴わなければ、決して人の心を打つ別解にはなりません。

たとえば、「雨の日は、神様がくれた読書の時間である」といった独自のストーリーを、自らの言葉で語り尽くせて初めて意味を持つのです。当社の若手が先輩からのフィードバックを浴びて泥臭く深みを培うように、「細田AI」の洗練されたアウトプットの裏にも、無数に言葉を書き出し、選ばれなかったという「膨大な失敗の蓄積」が存在しています。
AIはプロセスをショートカットする魔法の杖ではありません。人間の失敗や葛藤の記憶が組み込まれたAIこそが、貴重な暗黙知を次世代へと受け継ぐ、本当の価値になるのだと考えています。
──最後に、これから人間中心のAIを活用した組織変革を目指すビジネスリーダー層に向けて、明日からできるアドバイスをお願いします。
私自身が実践し、当社の役員たちも口を揃えて「やって良かった」と語るのが、「AIととにかくしゃべる」ということです。キーボードに向かうのではなく、スマートフォンの音声入力を使い倒してください。
「今日これから取材なんだけど、どう答えたらいい?」と、思い立った瞬間にスマホのマイクへ相談する。これを1日10回、できれば100回ほど繰り返していくと、AIとの距離感がだんだんと掴めてきます。

やがてAIエージェントが自律的に仕事をしてくれる時代が来た時、「自分はこういうことをやりたい」と口頭で的確に指示を出すスキルが非常に重要になります。人間はテキストだと体裁を整えて「嘘」をつけますが、口で話すとどうしても「本音」が漏れ出るものだと思います。
だからこそ、リーダーの皆さんは何か大きな変革を掲げる前に、まずは1日数十回、音声入力でAIと対話して「遊んで」みてください。そこから、「組織のAI推進は、この感覚で進めればうまくいくんだな」という本質的なヒントが、必ず見えてくるはずです。
PROFILE
株式会社博報堂DYホールディングス テクノロジーR&D戦略室・BPR推進グループ
株式会社博報堂DYコーポレートイニシアティブ 人事室・HRデータ戦略部
2003年博報堂入社。営業を経験後、2012年より人事領域へ移り、新人事制度の設計やタレントマネジメントシステムの導入を推進。2022年よりテクノロジー領域へ転身し、BPRやAI/DX推進を担当する。現在は人事室、DX推進室、テクノロジーR&D戦略室などを兼務し 、データドリブン人事やAI活用によるDX推進、HDYグループのBPR推進をリードしている。GenAI HR Awards 2025準グランプリ、CIO 30 Awards Japan 2025 AI賞、2025年度第43回IT優秀賞(経営・業務改革)。