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AIには撮れない「あの瞬間」— 小学校の卒アルが問う、写真ならではの価値

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スマートフォンの普及、そして何よりも生成AI技術の目覚ましい発展により、誰もが高品質な、あるいは想像力豊かな画像を瞬時に手にすることができるようになりました。 「創る」ことのハードルが劇的に下がる一方で、AIが生み出すイメージと、人間がファインダー越しに捉える「写真」との間には、どのような違いがあり、それぞれにどのような価値を見出せるのでしょうか?

今回取り上げるのは、新渡戸文化小学校で4年前から続く「メモリージャーニー」プロジェクト。卒業生自身が撮影した写真を卒業アルバムの1ページに使用し、それぞれの児童の好みで編集したり、卒業写真のメインとも言える個人写真を、指名した友人に撮影してもらったりするというユニークな試みです。生成AIが席巻する現代だからこそ考えたい、「写真に残される価値とは何か?」、ひいては「人間的な営みとは何か?」という根源的な問いに対するヒントをお届けします。

※本記事は、新渡戸文化小学校公式noteからの転載記事です。

「綺麗」「美しい」以上の写真の価値を

始まりは2021年。フォトグラファーの田村恭一さんとVIVISTOPがつながったことがきっかけでした。田村さんは元々広告代理店でフォトグラファーとして活躍しており、写真の新しい意味や価値を自分自身で問い続けていた頃だといいます。

「スマホや撮影機材の進歩や、SNS、生成AIの発展で、高度な技術を要する撮影や“綺麗な写真”は、絶滅してしまうのではないかと思っていましたし、実際に現在でもそれは明日にでも起きることだと感じています。そんな現代において、写真に残される価値って何だろう?と考えることが多くなっていたときに、一つの考えを持つに至ったんです。それは、今後写真に残る意味は、フランスの批評家ロラン・バルト氏が言っていた『それは、かつて、そこにあった』という写真の原始的な機能ではないかということでした。写真の意味そのものや写真を通じた思考を広げる実験を行いたいと考えていたところ、前職の会社でそのきっかけとなるイベントがあったのです」(田村さん)。

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子どもたちの前に立つ田村恭一さん(左)。広告代理店にて、クリエイティブディレクター/フォトグラファーとして、大手企業のプロモーション企画や、タレント・コスメ等の撮影に従事。 2020年に撮影事業及び、広告代理事業を中心とした株式会社doseeを創業し代表取締役を務める。


そのイベントこそ、新渡戸と田村さんを繋げる間接的なきっかけとなったものでした。田村さんが当時所属していた広告代理店のファミリーデーで、子どもがフォトグラファーになり、親の広告写真を撮影するという企画。 当時から、フォトグラファーではない人が撮る写真に価値を感じていた田村さんが、写真の新たな道をまた一つ見つけるきっかけになったといいます。

プロジェクトを一緒に作ったメンバー内でも、新しい価値が生まれるのではないかという期待感が沸き起こり、プロジェクトメンバーが、自身の知り合いであったVIVISTOPの山内先生を、田村さんに繋いだことが新渡戸との出会いとなったのです。

「山内先生にプロジェクトの話をすると、その瞬間、即断即決で『それ、卒業アルバムでやりましょう!』となりました」(田村さん)。その後すぐに当時6年生を担当していた栢之間倫太郎先生たちとキックオフミーティングをし、プロジェクトの実施が決まっていきました。

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当時の卒業アルバムを見ながら打ち合わせをするプロジェクトメンバー。

卒業アルバムを「自分たちのもの」に

栢之間先生も、卒業アルバムをプロジェクトのメインに据えることにすぐに腹落ちしたといいます。「これだけ大切な思い出が詰まっている卒業アルバムに、児童が何一つ関わってないっておかしいよね、というところからスタートしたんです。個人写真は突然現れた知らないカメラマンが撮影し、撮影された写真も先生が選ぶ。何より画一的な撮影方法ですよね。6年間の総集編なのに、他人が作って、それにお金をかけるってもったいない、ということになりました」(栢之間先生)。

そして2021年夏から始まったプロジェクト、その名も「メモリージャーニー」。卒業アルバムの1ページを「この先忘れてしまいそうなものやこと」をテーマに自分自身で撮影した写真を使用し、それぞれの児童に好きに編集してもらうことにしたほか、卒業写真のメインとも言える個人写真は自分を撮ってほしい友人を指名して撮影してもらいました。普段、授業で使用するiPadで友人同士の写真をたくさん撮っている生徒たちですが、自分の個人写真を撮影してもらうのは、友達だけではなく、思い入れのある他の学年の先生や、同じ学校に通っている兄弟など、写真を撮影する意味や撮影者が誰であるべきかという問いを敏感に汲み取って、指名していたといいます。

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クラス写真もみんなで構図を考え、自分達でシャッターを切りました。画角だけカメラマンの田村さんと一緒にセットして、その中にみんなが入って、シャッターボタンを児童が握る。撮影しながら自分たちでモニターを確認して、「おまえ写ってないぞ」「私ここ座っていい?」「ここのスペース空きすぎじゃない?」「もっとぎゅっとして!」「目を閉じてるからもう一回!」などワイワイしながら撮影が進んだといいます。写真の撮り方に始まり、写真を撮ることの意味をみんなで学んでいったのです。

間違いなくみんなが主役だった瞬間があった

初年度の取り組み。「控えめにいって、最高!という感じでした」と栢之間先生は当時を振り返ります。「学校って、『みんなが主役』と言いますが、でもなんとなく、クラスで脚光を浴びる子とか、目をかけてもらえる子とか、友達の中で輝いている子は存在する。別に誰もが注目を集めたいわけではないですし、そんな1つの尺度で子どもの何が決まるわけでもないのですが、実際にそういう現状はあると思うのです。でも、誰かが誰かを撮るとき、このとき、この瞬間、少なくともカメラマンの前にいる子が間違いなく主役だったんです。その子が勇気を出して指名したカメラマンがカメラを構えていて、そのカメラの周りに子どもたちが集まって『めっちゃいい!』『もっと自然に!』とかいって盛り上げてくれる。少なくともこの瞬間は、みんなが撮影される児童をみていて、確かにこの瞬間があったというのが記録されていくのがすごく美しかった」。

フォトグラファーの田村さんも言います。「眼の前にいる人を撮るということがどういうことなのか、という問いに対して、自分なりのまなざしを持って、対象物に接近してくれていました。撮ろうとしたときの、相手との関係性、その関係性における相手の『らしさ』。確かにあった『わたしとあなたの関係性』『わたしと場所のつながり』、そんな風に生きていた時間を、かつて確かにそこにあったものとして残せるというのが写真の機能性なんだろうと思いますが、それを体現してくれていた気がします」。

それを端的に表している写真があると栢之間先生が教えてくれました。

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一瞬何を撮っているのか分からないこの写真。手前には何か黒いものが写っています。写真の構図としては「ん?」と思うような写真です。

「2022年に卒業した友達同士で撮影した写真です。少し身長差があったこの2人は、とても仲が良かった。撮影者の女の子はが、『私、彼女の頭にアゴを乗っけるのが好きなんですよ。その感覚を思い出すかな、と思って』と撮った写真がこれなんです。見えている髪の毛は、もちろん撮影者の親友の女の子の髪の毛です。ああ、これだな、と思ったんです。まさに、今ここにある誰かとの関係性を残すものですよね」(栢之間先生)。


こうしてできあがった2022年の卒業アルバムは、想定通り今までにない卒業アルバムになりました。

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実際にある児童が「マイページ」としてつくったページ。

写真は自己理解であり、他者理解である

2022年以降も、卒業アルバムのプロジェクトは今も続いているだけでなく、試行錯誤を経て様々に進化を遂げています。今では「卒業アルバム用に撮影する」という目的以上に、自己理解、他者理解に繋げるプロジェクトに進化しているのです。

「このプロジェクトを始めるときに、(田村)恭一さんから言われて印象的だったのは、『写真は最強の具体なんです』と言われたことだったんです。もうその次の瞬間には別のものになってさえいるようなものを、「確かにそこにあったもの」として具体で残せるツールである、と。わずか零コンマ何秒の中に、無限の情報や人の関係性が隠されている、ということを教えてもらったんですよね。自分が何を撮るか、撮った対象物にどのような想いや関係性があるか、そうしたことをファインダーを通じて気付けるツールになってきている気がします」(栢之間先生)

「今さら、小学生向けに『その人っぽく撮ってみよう!』みたいな、お遊戯のような写真教室をやるのはつまらないと思っています。昔、哲学者の鷲田清一さんの本で、らしさというのは、人との関係の中で生まれるものと読んだことがあります。僕自身も、他人との関係が終わるということは、その人との関係の中で作られた、一人の自分が文字通り本当に死んでしまうことなんだと体感する経験をしたことがあります。他者との別れによって、自分自身が死んでしまうと言えるかもしれない、そんな別れの節目である卒業において、生徒同士で撮りあって作った卒業アルバムが、『それは、かつて、そこにあった』という写真の機能性によって、より意味のあるものになっていればいいなと思っています。それこそがAIにはできないことだと思っています。そして、この授業を通して、生徒たちのものの見方に少しでも良い貢献ができていたなら、これ以上の喜びはないですね」(田村さん)

なんだか、明日から、わたしたちがファインダーから覗く景色も変わってきそうです。あなたは、今日、誰との、今ここにある、関係性を、写真に残しましたか?


執筆:新渡戸文化小学校公式note編集部
写真:栢之間倫太郎、新渡戸文化小学校児童

PROFILE

NITOBEBUNKA ELEMENTARY SCHOOL

東京都中野区にある私立小学校。初代校長である新渡戸稲造が唱えた「利他の精神」から、「Happiness Creator〜しあわせをつくる人になろう〜」を教育の最上位目標に掲げている。プロジェクト型学習や対話を教育活動の中心に据えて、これからの社会に必要な教育を創り上げている。「本物」に触れることを重視し、学校外のプロフェッショナルに参画してもらうことも頻繁に行っている。

PROFILE

KYOICHI TAMURA

株式会社dosee 代表取締役
広告代理店にて、クリエイティブディレクター/フォトグラファーとして、大手企業のプロモーション企画や、タレント・コスメ等の撮影に従事。2020年、撮影事業及び、広告代理事業を中心とした株式会社doseeを創業。ToB案件を中心に事業を行う傍ら、2021年より都内の小学校にて、生徒同士で撮りあう卒業アルバム写真のプロジェクトを開始。写真家以外の人同士で撮り合う写真の価値に可能性を感じ活動中。