医療事務支援から創薬まで|生成AI海外事例集 ー 医療編 ー

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生成AIが産業界に革命をもたらそうとしている中、人々の生死に直結する医療にも大きな影響が及んでいる。特に足元では医療事務支援などの業務効率化から創薬プロセスの刷新にいたるまで、さまざまな取り組みが生まれている。
本連載「生成AI海外事例集」では、世界各国の生成AI活用事例を紹介しながら、各業界の未来を展望する。今回は、医療における先進的な取り組みに焦点を当て、医療事務支援による医療従事者の負担軽減や医療用基盤モデル開発の現状、そして今後の展望を探っていく。
市場動向|年平均成長率約35%で成長して、2034年には394億USドルに。アジア太平洋地域が高成長
カナダとインドに拠点を置く調査会社Precedence Researchは2024年10月24日、医療における生成AI活用の世界市場に関するレポートを発表した。レポートによると、2024年における同市場規模は19億5,000万USドルであり、年平均成長率35.17%で成長して、2034年には397億USドルになると予想されている。
2023年における同市場を地域別シェアの観点から見ると、1位が北米地域の37%、2位がヨーロッパ地域の29%、3位が日本を含むアジア太平洋地域の25%であった。市場予測期間の2034年まで同市場でもっとも大きなシェアを占め続けるのは、北米である。というのも、北米の医療機関では生成AI活用による医療サービスの質向上と医療費の節約を大いに期待しているため、ワークフローに生成AIを組み込む動きが加速しているからである。
地域別シェアの成長率から見れば、2034年までにもっとも成長するのはアジア太平洋地域である。同地域には大規模で多様な患者集団が存在するため、医療用生成AI開発に不可欠な大規模かつ高品質な医療用学習データを確保できるという優位性がある。
アメリカに本社を置く多国籍AIソフトウェア開発企業XenonStackは2024年12月2日、医療用生成AIの典型的ユースケースについてまとめたブログ記事を公開した。記事によると、こうしたユースケースは以下の箇条書きのように列挙できる。
- 医療管理事務支援:生成AIは、カルテをはじめとする各種医療文書の作成をサポートする。医療機関向けチャットボットは、通院予約や各種問い合わせを効率化できる。
- 医療用画像の活用:生成AIによって、医療用画像の解像度を上げたり、画像内のノイズを低減したりして、画像の視認性を向上させられる。臓器や組織の画像を合成した画像は、医療教育や患者への病状説明に活用できる。
- 創薬:生成AIは、特定の性質をもつ医薬品を合成するために必要な化合物の組み合わせを絞り込める。その結果として、創薬における時間的/金銭的コストを節約できる。
- 医療用合成データの生成:症例が少ない疾病に関して、生成AIが架空の合成データを生成できる。生成されたデータを使えば、疾病を研究したり、診療支援AIの学習データを整備したりできる。
- 個別化医療:がんなどの特定の疾病のために開発された生成AIは、患者の治療履歴や遺伝子データなどを入力すると、患者ごとに最適化された投薬計画などを含む治療方針を提案する。
記事では、医療現場における生成AI導入に際する注意事項として、データのプライバシーとセキュリティーの確保、医療倫理にもとづいた活用ガイドラインの策定、生成AIを安全に活用するための医療従事者の継続的な教育と訓練などを挙げている。
世界の医療における生成AI活用事例
以下では、世界の医療における生成AI活用事例を前述の典型的ユースケースに即して紹介する。
Nuance Communications|医療事務支援AI「DAX Copilot」により医療文書作成を効率化
アメリカのNuance Communicationsは、各種医療事務を支援するAI「DAX Copilot」を開発・提供している。同AIを活用することで問診における医師と患者の会話をキャプチャでき、その内容にもとづいて臨床用要約文書を生成する。この文書を使って、カルテや紹介状などを効率よく作成できる。
同AIは導入医療機関ごとに出力内容をカスタマイズでき、各種外来だけではなく救急部門や遠隔治療部門にも導入可能となっている。
同AIを導入した医療機関についてその効果を調査したところ、問診1回あたり5分の時間を節約可能で、医療従事者の70%が燃え尽き症候群や疲労を軽減でき、77%が医療文書の品質が向上したと回答した。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 医療管理事務支援 |
企業名 / サービス名 | Nuance Communications / DAX Copilot |
特徴 | 音声認識による問診のキャプチャ |
使用例 | 医師と患者の会話をキャプチャする |
利点 | 医療従事者の負担軽減 |
導入効果 | 医療従事者の70%が燃え尽き症候群や疲労を軽減 |
HOPPR|医療用画像向け基盤モデル「HOPPR Foundation Model」
アメリカ・シカゴに拠点を置くHOPPRは2023年11月26日、医療用画像向け基盤モデル「HOPPR Foundation Model」を発表した。このモデルは、例えば動脈瘤に関する医療画像を入力すると、この症状の手術に関する推奨事項を提案するというものだ。
同モデルの学習に1ペタバイト以上の匿名化された画像データを用いることで、モデルの信頼性を高めている。モデルのパラメータ数は、最大5兆に達する。学習データ用画像のグレースケール(モノクロの階調)は、通常の256階調を大きく上回る65,000階調を採用した。
同モデルの活用事例には、放射線報告書の自動記入が挙げられる。放射線画像を同モデルに入力することで、放射線報告書を作成するための画像の特徴を抽出できる。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 医療用画像の活用 |
企業名 / サービス名 | HOPPR / HOPPR Foundation Model |
特徴 | 医療用画像活用に特化した基盤モデル |
使用例 | 医療用画像にもとづいた診断支援 |
利点 | 放射線報告書の自動記入も可能 |
導入効果 | 医療用画像の見落としを予防 |
Google|「Med-Gemini」をはじめとする継続的な医療用基盤モデルの研究開発
Googleは2024年3月19日、同社の医療用基盤モデルについてまとめたUS版公式ブログ記事を公開した。同社はLLM開発と並行して医療用基盤モデル開発を進めており、2023年5月にはGeminiの前世代AIに相当するPaLM 2を医療用にファインチューニングしたMed-PaLM 2を発表した。
2023年12月には、Med-PaLM 2をベースにしたMedLMを発表した。2024年3月には、胸部レントゲン画像を分類する同AIの新機能MedLM for Chest X-rayのプレビュー版の提供を開始した。
2024年5月、Google Research(Googleの研究部門)は、Geminiを医療用にファインチューニングしたMed-Geminiに関する論文を公開した。論文によると、同AIは医療用AIのベンチマークとして多用されるアメリカ医師免許試験をベースにしたUSMLE-style question benchmarkにおいてGPT-4のスコアを上回る精度91.1%を達成した。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 診療行為全般の支援 |
企業名 / サービス名 | Google / Med-PaLM 2、MedLM、Med-Gemini |
特徴 | 高度なAI技術によって開発された医療用基盤モデル |
使用例 | 胸部レントゲン画像の分類 |
利点 | USMLE-style question benchmarkで精度91.1%を実現した医療的判定を活用できる |
導入効果 | 医療用基盤モデル活用による診断の正確性向上 |
Isomorphic Labs|「AlphaFold」シリーズを活用した創薬を推進
Isomorphic Labsは2021年、Google傘下のAI研究機関DeepMindから、医療におけるAI活用に特化することを目的として誕生したスピンオフ企業である。同社は2024年5月8日、DeepMindと共同開発したAI「AlphaFold 3」を発表した。
AlphaFold 3は、タンパク質の3次元構造を予測するAlphaFoldを進化させ、タンパク質に加えて、DNA、RNA、そして多くの医薬品に含まれるリガンドと呼ばれる低分子の相互作用を予測できる。その予測能力は、従来手法より50%高い精度となっている。こうした能力は、創薬に活用される。
Isomorphic Labsは、AlphaFold 3を研究目的で活用できるように同AIをウェブブラウザから利用できるウェブサービス「AlphaFold Server」を無料で提供している。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 創薬 |
企業名 / サービス名 | Isomorphic Labs / AlphaFold 3 |
特徴 | タンパク質、DNA、RNA、リガンドの相互作用の予測 |
使用例 | 創薬における化合物候補の迅速な絞り込み |
利点 | 従来手法より50%高い予測精度 |
導入効果 | 創薬プロセスの短縮 |
Syntho|プライバシーに配慮した医療用合成データを提供
オランダに本社があるSynthoは、さまざまな業界に対して合成データを提供している。同社が医療向けに提供する合成データは、独自開発したデータ生成AIを活用することで、実在する医療データの特徴を損なうことなく匿名化したうえで生成される。
生成される医療用合成データは、EMR(Electric Medical Record:電子カルテされたデータ形式)やEHR(Electric Health Record:EMRに患者の基礎情報等を追加したデータ形式)などに対応している。
同社の医療合成データは、オランダ最大の医療機関のひとつであるエラスムス医療センターで高度な医療技術の開発や検証に活用されている。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 合成データの生成 |
企業名 / サービス名 | Syntho |
特徴 | 独自開発した生成AIによる特徴を損なわない合成データの生成 |
使用例 | 医療研究における合成データの生成 |
利点 | データの特徴を損なわない実在データの匿名化 |
導入効果 | 医療研究におけるデータ不足の解消 |
Chief.AI|個別化医療を遂行する生成AIを開発
イギリスに拠点を置くChief.AIは、患者ごとに最適化された治療を提案するさまざまな生成AIを開発・提供している。例えばがん治療に関する生成AIは、がん患者に関する健康記録や化学治療などの医療データを大量に学習することで構築される。学習する疾病はがんに限らず、心臓病や潰瘍なども可能である。
個別化医療用AIを活用するうえで重要となるのは、このAIが提案する治療内容の説明可能性である。提案された治療内容は、医師が理解して治療に採用できるものでなければならない。それゆえ、Chief.AIは、提案内容に対して明確で理解しやすい理由を付加するようにAIを設計・開発している。
項目 | 内容 |
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活用カテゴリ | 個別化医療 |
企業名 / サービス名 | Chief.AI |
特徴 | さまざまな疾病において患者ごとにパーソナライズされた治療方針を提案 |
使用例 | がん患者に対するパーソナライズされた治療 |
利点 | AIの提案にわかりやすい理由が付加される |
導入効果 | 患者の早期回復 |
まとめ|医療における生成AI活用の動向と展望
列挙したように医療においては、現場の業務効率化だけでなく、創薬やタンパク質構造の予測など、医療の根本を革新していく取り組みが生まれつつある。
- 医療従事者の負担軽減
- 生成AIは診療記録の作成や患者とのコミュニケーション補助など、事務的作業を自動化することで、医療従事者の負担を軽減する効果がある。その結果、患者ケアに集中する時間を確保できる。
- 診断支援の精度向上
- 生成AIは、大量の医療データや症例を分析することで、疾患の診断精度を向上させる役割を果たす。特に、画像診断や希少疾患の特定において、その効果が顕著である。
- 創薬における開発コストと期間の短縮
- 生成AIの活用により、初期段階での候補化合物のスクリーニングから臨床試験の実施までのプロセスが効率化されるため、開発コストと期間が大幅に削減される。この影響は、新薬の市場投入までのスピード向上に直結する。
- 医療用データ不足の解消
- 希少疾患や特定の条件におけるデータが不足している場合に、合成データを用いることで研究やモデル訓練に必要なデータ量を補完できる。こうしたデータ補完により、幅広い分野での医療研究の進展が期待される。
- 個別化医療の推進
- 生成AIは、患者の遺伝情報や生活習慣データをもとに、個別化された治療法や予防策を提案できる。これにより、より効果的で効率的な医療が提供できる。
2025年以降の展望としては、以下の点が重要になると考えられる。
- リアルタイム診断の実現
- 生成AIを活用したリアルタイム診断システムが普及することで、救急医療や遠隔医療において迅速かつ正確な判断が可能となる。その結果、医療の即応性が向上する。
- 予防医療のパーソナライズ化
- 生成AIを活用することで、患者ごとのリスク要因を予測し、発症前の段階で個別化された予防策を提案できるようになる。こうした提案を生かせば、疾病の発症率低下や医療コストの削減が期待できる。
- 創薬プロセスとの統合
- 医療における生成AIの活用は、創薬と統合され、疾患の診断から治療薬の開発までを一貫して支援するシステムの構築に寄与する。このような統合により、新薬開発の効率と精度が飛躍的に向上する。
- 医療教育の革新
- 生成AIによる仮想症例やシミュレーションの提供が、医学生や医療従事者の教育を変革する。多様な症例を安全な環境で体験することで、実践力を効率的に向上させられる。
- 倫理的課題への対応とガバナンスの確立
- 生成AIの進化に伴い、倫理的・法的課題への対応が不可欠となる。公平性、プライバシー保護、AIの説明責任を確保するための国際的な基準やガバナンスの整備が進むと予測される。
以上のように、生成AIの医療における活用は、診療の効率化や精度向上、さらには創薬に至るまで多岐にわたる。特に、個別化医療やリアルタイム診断といった未来志向の展望は、医療の質そのものを根本的に変革する可能性を秘めている。その一方で、倫理的課題やガバナンスの整備が求められている。まとめると、医療における生成AI活用を推進するには、技術革新と社会的受容のバランスをとることが重要となるだろう。
(記事著者:吉本幸記)